足尾銅山

以前、訪れた事のある足尾銅山の観光施設。
炭坑列車に乗って見学の後、お土産品売り場に石を売っていた事を思い出しました。
石蟲の材料を手に入れよう!と、出かけました。
ただ、せっかく行くのだから、古河掛水倶楽部と銅親水公園にある砂防ダムにもよることにしました。

古河掛水倶楽部

足尾銅山は江戸時代に幕府直轄鉱山として栄えたが、明治時代に入ると産出量の減少により、閉山状態に。
その後民営化され、古河市兵衛が経営に着手し、採掘事業の近代化により東洋一の銅鉱山になります。
そのなか、迎賓館として建てられたのが、古河掛水倶楽部です。

入館料は500円でした。同じ敷地内に、電話資料館、所長や幹部職員の社宅もあり、建物内の見学もできます。
倶楽部の外観は洋風ですが、宮大工が請け負ったのでしょうか?窓やドアの縁、手摺などに寺社建築の様式が見てとれます。
驚いたのは、食堂の床です。西洋の石造り模様を木造で見事に再現しています。

敷地内の施設で、電話資料館は圧巻です。2000年まで現役だった自動交換機が、展示されています。
ダイヤル式の電話機が2台置かれ、3桁の番号が書かれています。受話器を取りその番号を回すと、交換機のリレーが「カタ・カタ・カタ」と動き出し、隣の電話機の呼び鈴が鳴ります。
動くリレーが見たくて、ダイヤルを回しては交換機に振り返る事を繰り返し・・・。
あっという間に時間が過ぎました。
社宅には、鉱石や炭坑内の写真などが飾られていました。
古い白黒写真のせいもありますが、作業をする工夫の姿に、炭鉱の影の部分を感じます・・・。

銅親水公園

砂防ダムを見るために、渡良瀬川の上流へ向かいます。左手の川向こうに大きな煙突、本山製錬所跡です。銅親水公園は、その先1Km程先にあります。道路を左折し戻るように下ると30台ほどの駐車場がありました。

川向こうの公園には、歩行者用の橋を渡ります。
大きな砂防ダムが、段々畑のようにあります。時刻は、午後1時過ぎなのに蜩が鳴いています。
ダムの水音と合わさり、涼しさが増します。
芝生の公園には、テーブルとベンチがあり、お弁当を広げている家族や団体さんが見えます。
緑の中で食べるお昼ご飯、お弁当を持ってくるべきでした。

足尾環境学習センター

公園の中に二つのとんがり屋根が見えます。右側は、無料の休憩所。
入ってみるとテーブルと椅子があり、持ち込みで飲食ができます。
壁際にある本棚には、立松和平文庫とあります。
作家の立松和平氏は、曽祖父が足尾の坑夫だったこともあり、足尾での植林事業に貢献したそうです。

左側の建物は、足尾環境学習センターとあり、入館料200円。
リーフレットとダムカードを2種類頂きました。
足尾の煙害に関するビデオの上映があり、そのあと係の方が、足尾の大きな地形模型を使い煙害と植林事業について、とても丁寧な説明がありました。
本山製錬所から出た亜硫酸ガスを含む煙が、南風にのって3つの沢に流れ込み滞留。
樹木が枯れ果てました。その広大な範囲に衝撃を受けました。
山々は、SF映画で見た火星のようでした。
以前、狛犬探しの旅で足利を訪れた際、渡良瀬川が流れ込んだ土砂により、一部でまわりの土地より高い川、天井川になったと聞いていました。その土砂の原因が此処でした。
枯れ果てた沢にある砂防ダムは、他に例を見ない数が設置されているそうです。
国の指導もあり、煤煙除去の設備が設置されたそうです。しかし技術的にも難しく、昭和31年に製錬方法の転換により、亜硫酸ガスが排出されなくなるまで、煙害が続いたそうです。
その後、本格的な植林事業が始まり、現在の姿まで戻ったそうです。

いただいた2枚のダムカードに、昔と今の環境が見てとれます。

昭和30年・完成当時のダムと周辺環境
植林の進んだ砂防ダム周辺

帰り道・・・。

今日、本命の石の購入。来た道を下って行きますが、なんだか足取りが重いです。
古河掛水倶楽部の前を再び通りますが、素晴らしかった建物が少しあせて見えます・・・。
ただ、今では当たり前の「安全第一」という考え方を、日本で初めて導入したのも足尾銅山です。
この事は、記しておかなくてはならないと思います。
トロッコに乗っての足尾銅山観光は、とても楽しいです。
その際は、少し時間に余裕を持たせて、「古河掛水倶楽部」や「足尾環境学習センター」に足を伸ばしてみてはいかがでしょう。
特に「足尾環境学習センター」はお子様連れにおすすめします。

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